「あの花」最終話観て、「スティールボールラン」におけるテーマの共通性とか考える。


あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

コンテみたさにポチってしまった……

「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」最終話観ました。
普段、深夜アニメを見るときは仕事しながら観なのですが、
あの花はリビングに移動して、しっかりと観ました。

全話通して、とても素晴らしい話でしたね!
監督の方はまだ35とお若いらしいのに、力のある人だなと。

以下ネタばれを含むためたたみます。(SBRのネタばれもふくみます。)

あの花が特に良かったところは、登場人物全員が「最初から最後まで敗北者
であったことだと思います。

  • 「めんま」と相思相愛ながら、結ばれることはない「じんたん」
  • 「めんま」を誰よりも好きでじんたんに対抗心を燃やす「ゆきあつ」
  • 「じんたん」の事が大好きなのにめんまに勝てない事を知っている「あなる」
  • 「ゆきあつ」のせめて理解者になりたいと願いながらも満たされない「つるこ」
  • 「めんま」の死に触れて、罪の意識にさいなまれる「ぽっぽ」
  • そして、みんなの事が大好きなのにそれを伝える術を持たない「めんま」

それぞれが心に傷を負っています。
おそらく、今の世に生きる人なら誰しも、あの花のメンバーが抱える心の傷と
似たものを持っているのではないでしょうか?
好きな人に選ばれない、望んで望んで望んだ物が手に入らない。

特に好きだったのは、ゆきあつ、女装までして偽めんまを演じる彼。
もう色々悲しすぎるキャラです。でもちょっと気持ちが分かるんですよね。

永野護先生のFSSの中でこんなセリフがあります。

「初めて会ったものが、この世で最高のものだった…」
ミラージュ騎士アイシャがヨーンに対して想うシーンです。

ゆきあつの気持ちはまさにこれではないでしょうか。
一生に一度の出会いなのに、自分は選ばれない、
しかももう触れることも出来ない…
この痛み、どうでしょうか……
ゆきあつ、女装までするか?という方にはこのあたりを感じてもらいたいところです。

あの花の目的のめんまの願いをかなえるっていうところも
じんたんが、素顔で自分らしく居られる事という、たわいもないことでした。
でも、それが良いんだと思います。バーっと救いが降りてくるわけでもない。
誰かが勝者になるわけでもない、傷は残ったまま、それでも少しづつ成長していく
そんな物語に新しい時代の価値観を感じます。

ってJOJOの話がここで出てくるわけですが、
スティールボールラン(以下SBR)も敗北者の物語ですよね。
JOJO史上ラスボスに完全敗北のジョニィ。
それでいて、ラストのすがすがしさ。
SBRには、ジャイロへの暗殺者以外は厳密に悪という存在が
居ないと思っています。
大統領しかり、DIOしかり、自分自身の正義のための戦い。
求めた物を手に入れる事が出来ずに全てのキャラが舞台をさり
そこには勝者も敗者も存在しなかったと思うのです。
ただ、生き残った人物には少しの成長があった…

未来に希望が持てず、勝ち組・負け組という言葉が
むなしく響く今と言う時代に、この2作品が持ってきたテーマは大きいと思います。
それゆえに、大きなカタルシスはなくても、評価したいと思うのです。

勝ちでも負けでもないもう一つのみち。それはなんなのか。
安らげる場所なのか。今後もこういう作品が増えてきて新たな世界の価値感が
根づいていくといいなと思わずにはいられないのです。

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